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センター試験。
ああ、あれからもう7年か。一番得意だった国語でこけて焦ったなぁ。日本史は神が降臨して自分の最高得点で通過したのでした。その他はあんまり覚えてないのだけれど、志望校を変える事態にはならなかったので、まぁそこそこの出来だったのだろう。
「センター試験なんてくだらないんですよ。あんなもので学力が測れるわけがない。でも、だからこそ君達は満点で通過しなければいけない。『またつまらぬものを斬ってしまった』という感じでね」
と言って励まして(?)くれた数学の先生の言葉をこの季節になるといつも思い出す。そうなんだよなぁ、くだらなくても、つまらなくても斬らなければならないときがある。そしてそれはきちんと完璧にやる。ちゃんとできてるのだろうか。
なんとなく手品がやりたくなって、久々にカードをいじったりコインをいじったり。
昔、といっても数年前だけど、4枚のコインでやる凄くシンプルなコインアクロス(デビットストーンさんの奴)が大好きで、自分の中でクロースアップと言えばこれでした。自分なりにセリフやタイミングも落とし込んでいて、「これをやればうける」という感じのかなり自信のあるネタでした。なのにいったいいつからやらなくなったのだろう・・・純愛のライターをやりだしてからだろうか。
純愛の手品は個人的にある種究極の手品だと思うのだけれど、「凛とした美しさ」という点ではこのコインアクロスにかなうものではないよなぁ。ああ、そうか、そういうちょっと気取った雰囲気で手品する機会がなくなったからやらなくなっているのか。確かに最近コインがうつる瞬間の音がきちんと聞こえるような環境で手品してないや。うーん、しばらくはできないかもしれない。すでにそういうキャラじゃないもんなぁ。昔はそうだったのか、と言われるとこれもまた違うわけで、要はそんなことに気付いていなかったからできたのか、初対面の人だからできたのか、よくわからない。
なんというか、演じているんだよなぁ、人格も。会社での私。友人と会っているときの私。ふざけられる友人と会ってるときの私。特定の人にしか見せない私。ざっと思いつくだけで4つくらいか。もちろんこれが入り混じって「今の私」なんだけど、いつからこうなっているんだろう?小学生のころとか、せいぜい2つくらいだった気がするなぁ。今は友人でも3パターンあるのだ。そのうちの一つは会社での振る舞いに近いから・・・全部で3つか。子供時代から一つ増えた。大人になったということかしら。
話がそれた。つまり私は人によってしゃべり方とか振る舞い、ポジティブさなどを意図的に変えているわけなのだが、このうちのどれもが私の演じたいコインアクロスにはまらない気がする、という話。年をとったらできるようになるのかなぁ。まぁ舞台では普段の人格なんかすっかり気にならないわけで、クロースアップもその手品に至るまでにきちんと準備していけば、特に違和感なく演じれるのかもしれない。今日はちょっと真面目に手品してみますよ、と言う流れだろうか。次手品を求められたら、そのあたり考えながらやってみよう。
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